CATEGORY:沖縄
2007年02月26日
姫ゆりの塔
テレビや映画で何度も見聞きしている「姫ゆりの塔」
実際に見たのは始めてですが・・
これがそうですと言われなければ見落としてしまいそうな小さな塔でした。

旧陸軍第3外科が有った壕跡
今は草木に覆われていますが、深さ12.3メートル?有るとか?
ここで10代の少女たち(姫ゆり部隊)が負傷兵たちを、
医薬品も医療器具も食料も底をついた中で、彼女たちは必死で看護を続けていた。
突如軍より解散命令が出されたが、この部隊だけはその命令が届かなかったそうです。
壕の中に潜んでいるところを、アメリカ兵にガス弾を打ち込まれ多くの兵士や少女たちが亡くなったそうです。
その壕の中から脱出出来て生き残った数名(5人?)の方たちが今も、
語りべとして戦争体験を語り継いでいます。

当時の医療器具が資料館に展示されていた。

この石畳は、
地上戦で、沖縄一帯が焼け野原になり何も残らなかった時に、
ちょうどこの場所だけが死角になり、この石畳だけが焼け残ったそうです。
この場所に立ち、そ~っと石畳に手を当ててみると・・・
なんだか“じ~んとこみ上げて来るもの”がありました
実際に見たのは始めてですが・・
これがそうですと言われなければ見落としてしまいそうな小さな塔でした。
旧陸軍第3外科が有った壕跡

今は草木に覆われていますが、深さ12.3メートル?有るとか?
ここで10代の少女たち(姫ゆり部隊)が負傷兵たちを、
医薬品も医療器具も食料も底をついた中で、彼女たちは必死で看護を続けていた。
突如軍より解散命令が出されたが、この部隊だけはその命令が届かなかったそうです。
壕の中に潜んでいるところを、アメリカ兵にガス弾を打ち込まれ多くの兵士や少女たちが亡くなったそうです。
その壕の中から脱出出来て生き残った数名(5人?)の方たちが今も、
語りべとして戦争体験を語り継いでいます。
当時の医療器具が資料館に展示されていた。

この石畳は、
地上戦で、沖縄一帯が焼け野原になり何も残らなかった時に、
ちょうどこの場所だけが死角になり、この石畳だけが焼け残ったそうです。
この場所に立ち、そ~っと石畳に手を当ててみると・・・

なんだか“じ~んとこみ上げて来るもの”がありました
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